左手さかな男 中能茜

男の左腕は肘から先が カツオでありました。

梅雨が明けたら、当たり前のように夏がやって来ます。

太陽の日差しがジリジリと照らし、汗でシャツが男の身体にへばりつく。

季節の変わり目の厄介なアレがやって来る。また、この季節です。

年四回、男のウロコは生え変わります。換鱗期 ( かんりんき) とでも名付けましょうか。

半透明で小円板状の破片がポロリポロリと落ちてゆくのです。

生え変わりは気持ちが良く生き返っていくようだった。

死んでいたわけでもないのに男は不思議な気分であった。

左手の肘から先がカツオであるがゆえ、

男は両手で遂行すべき行為が出来ない。

ゆえに世の中の楽器を男は演奏することが出来なかった。

男はギターが弾けない、フルートが吹けない、

もちろんピアノも無理だ。

だからどうした? 日常生活に何ら支障はないではないか。

その分、暮らしに潤いもなかったが誰にも迷惑はかけてはいない。

人生に潤いはないが、男の左手には旨味があった。

毎晩、男の家の風呂場、浴槽には黄金の出汁が波打っていた。

若竹煮って誰が考えたんですかね?

わかめと筍という組み合わせ。海のものと山のもの。

出会わないはずのものが繰り出すハーモニー。

男と左手のさかなの関係も同じ原理なのだろうか。

あぁ、やっぱり、男の左手はカツオなのでございます。

筍を食べながら、それでも男は男自身に変わりないのだと気付く。

あぁ、自分の左手からとれた出汁は美味い。

頬にしょっぱいものが伝うので、

男が左手で拭うと目から鱗も落ちてきた。

左手さかな男